自意識過剰と子供時代のトラウマは消えない?克服方法について考えた
僕には子供時代に人生のターニングポイントとなる出来事があった。
ターニングポイント・・・、和訳すると転換点かな?
良い方に転換することもあるし、悪い方に転換することもあるわけですけど、今日はモチ悪い方に転換したときの話 ('ー ' *)フフン ナケル
小学校2年生の時に生まれたトラウマ
僕には男兄弟がいるんですが、当時兄がサッカー少年団というものに所属していたんです。毎週土曜日を活動日としていて、小学校のグランドで行われるサッカー教室といった内容。
まあ、どこにでもある教室です。日本国内、サッカー限定でも数千万の教室があるのではないでしょうか?(適当)
幼少期の僕はどちらかというと引っ込み思案な少年。
そうはいっても、子供特有の好奇心のようなものは、他の子供並みに有していたように思います。
サッカーというと、当時は野球よりも人気があったように思う。Jリーグはまだ開幕していない。(年齢がばれる)。
同じクラスのサッカー少年団に所属する男の子たちは、どこか、クラス内で人気者という風に僕の目には映っていました。
その影響もあっただろうし、単純に兄からの影響もあったんだろうと思います。
引っ込み思案のあじさい少年は、
僕もサッカーやりたいぽよ( ‘ω’)/
と、ある日母親に打ち明けたのでした。
残念、却下(‘A`)y-~
という、何やら無駄に極悪な返答を返されることもなく、無事に入団することができたあじさい少年二等兵(2年生)。
初めて通う前日の金曜日の夜は、ドキドキして中々寝付けませんでした。
というのは、正直覚えていませんけどね。多分そうだったと予想します。子供だし。可愛い頃の自分だし。
初めてのサッカー教室体験
ボールが体の一部のように感じられて超楽しいんですけど?日本の皆様おめでとうございます。将来の日本代表が誕生しました。
これで年収がっぽがっぽ確定だぜ。奥さんはモデルか女子アナ。あるいは、同級生のやよいちゃん。選手生活引退後の第二の人生は何をしようかしらーっ?!
実際、そんな感じだったんですよね。
近くで指導していたコーチのおじさんが、
あの青いボールの子が上手い
って言ってましたけど、それ、僕ですからね。
聞こえるように言ったのか、たまたま僕の耳が研ぎ澄まされていたのかは分かりませんが、ナイス褒めでしたよね。
だって、
めっちゃくちゃ嬉しかったですもーん!!( ‘ω’)/ポヨ
褒めて伸ばすって本当正しいですよね。嬉しい気持ちが人を強化しますよ絶対。
家に帰ってからも、母親に褒められた旨を報告しました。
誰かに伝えざるを得ないほどの喜びが体に満ち満ちていました。
1Week Later(一週間後)
聖闘士星矢って知ってますか?
少年漫画でありアニメ化もされた人気作品です。
で、↑のようなフィギュアが当時販売していて、僕もこれを手に持ってアクションさせて遊んだものです。
緑(メタリック)という色がまたカッコいいですよね(*‘ω‘ *)
このキャラはシリュウ(子龍?)って名前ですね。
廬山昇龍破ーっ!! (シリュウの必殺技)
このフィギュア遊びがなー・・・
人生を暗転させる一因だったようです。
サッカー少年団へ入団後の翌週の土曜日。
その日も午後からサッカー教室の予定でした。
なのですが、出発時間の直前に上記のフィギュア遊びに夢中になってしまったんですよね。
母親(‘A`)y-~:サッカー行かないのかい?
僕( ‘ω’)/:今日は忙しいんで休みます!
母親(‘A`)y-~:(イラッ)辞めさせます
僕。゚(゚´Д`゚)゚。:はっ?!やだやだyだyだ!!うわわわーん!!
辞めさせられちゃいました・・・
その後の変化
始め大泣きした後はアッケラカンとしていたんですけどね。
翌週、小学校に通い始めてから段々とソワソワしてきました。
そうして頭に浮かんだフレーズは、
サッカーを1日で辞めたヤツ
そこから連想されるのは(僕が連想したのは)、根性なし。恥ずかしいヤツ。
当時、そういうレッテルを僕は自分に貼ってしまったんです。
それ以降は人の目を過度に恐れるようになりました。不自然な振る舞いをするようになった。控え目であったかと思いきや、逆に妙に強気になったり。振れ幅が大きくなった。
なぜ怖かったのか。
自分が、
根性のない恥ずかしいヤツ
であることがバレるのが怖かったんだろうと思います。(本当はそんな根性なしというわけでもなかったと思うんですが、そのように信じてしまったんですね)
哀しい性格が形成されてしまった_| ̄|○
トラウマがトラウマたる所以
小学校2年生(8歳)という若さにして、自分に悲しいレッテルを貼ってしまったあじさい少年。
ハッキリ言って、人生が暗転したと思います。
控え目であり、どこか元気がなく、主張も弱い。
対人においては、基本受け身。相手に対して”力”を感じたら、緊張感を伴った対応をせざるを得ない。
物事に対しては基本斜めに構えた対応を取る。
美術の授業のデッサンで、小学生の割には秀でた作品を描いたのか、市のコンクールに応募することになった時も、
(‘A`)y-~ 別ニイイヤ
あまりにも消極的な態度に、担任の先生が僕の作品に手を加える始末(不正じゃね?)
体育の授業の高跳びが、小学生の割には秀でた記録を叩き出したのか、市の総体(総合体育祭?)への出場を打診された際も、
(‘A`)y-~ 別ニイイヤ
大人から見たら、クッソ可愛くない子供だったと思います。
積極性は皆無。何か咎められたら不貞腐れる・・・みたいな。(”ふてくされる”って変換するとこうなるんですねー)
再度、サッカー少年団に入団すればよかっただけの話とも言えるんですが、
あいつ一日でやめたくせに、またやるの?意味不明なんですけど?
そう思われるのが嫌だったので、そのようなアクションは取れませんでした。(控え目で弱気な子供の考えは方は、当然弱気)
終わったことなんです。確定事項なんです。自分が恥ずかしい人間であるということは。
成長しても同じ、、、かな?
中学~高校も、基本的な人間性は当然変わりませんでしたよね。
結果的に友達でも何でもなかったっていう、糞みたいな友人付き合いもありましたし、気のいい友人に出会えたりもしました。(自分の怠慢で疎遠になったんですけどね)
全て、あのサッカー事件が尾を引いていたと思います。
高校は実家から離れた通学距離のあるところに行きましたが、サッカー部に入ったんですよ。
サッカー自体はやるのも観るのも、やっぱり好きだった。自分にはサッカーの才能があるとずっと思っていましたし。
でも、続きませんでしたね。
通学距離もあったし、高校から本格的にサッカーを始めるのもちょっとギャンブル的かな…?と。
サッカーを小学生の時から続けていたら、一体どこまで行けたんだろう・・・なんてよく思いました。
現実的な、サッカーの才能や技術の話です。それを確かめることは、もう二度とできない。
サッカーを続けていたら、社交性や社会性、健全な精神性なども養うことができた可能性が高い。
『夢はある?』と聞かれた時に、『ボールは友達、サッカーです!』と、子供らしく元気に答えられた可能性は高い。どこかで、サッカーを挫折したとしても、不具合なく次の目標を目指せていたと思う。
現に、僕は『夢』という純粋なものを以降持つことはなかった。
あの時、コーチに褒められた以上に、褒められて嬉しかったことは、これまでの人生で多分ない。
トラウマは消えたのか?克服できたのか?
正直、30歳くらいまで、社会生活上、尾を引いていたように思います。端的に言えば、人付き合いに難がありました。
軟弱な精神を鍛えるために極真空手とかも続けたんですけど、精神性の向上は、なかなか実感できませんでした。
同じ支部内には、昔いじめられっ子だった年下の子がいたんですが、その子は空手を始めることで、人が変わったように成長してましたね。入門時はナヨナヨしい感じだった。当時、その子と試合をしたこともありますが、百裂拳でボコボコにしたのはいい思い出\( ‘ω’)/
数年後、完全に立場というか、強さの上下関係が逆転していましたけどね。
スパーリングした際は、まじで重い岩を相手にしているようでした。顔つきも、どことなく生意気だった。笑
トラウマの克服法?
それはそれとして、トラウマは30代に入って、おおむね克服できたように思います。
社会での、他人との関わりの中にその結果を感じ取れています。
どういう精神的・心理的なメカニズムが克服を自覚させたのかを、僕なりに考えてみます。
人から離れる
他人に精神的に近づきすぎていた。他人からの評価が自分の評価でしたから。
幸か不幸か、30代の前半に体調苦で引き籠ることがありました。その際に、法律関係の資格の勉強に打ち込んだんです。
人から離れた場所で、法律の成り立ちやその扱いについて頭をウンウンひねらせていました。
論理的な思考力を高める
論理的な思考を一定期間継続することは、効果的なんじゃないかと思います。
数学じゃなく、法律とか言語的なものがいいように思います。
人間は言葉を使って生活するから?
かは分かりませんけど。
なんでしょう。自分が考えたり感じた内容について自信を持てるようになったというか、別におかしな脳味噌をしているわけではないようだ・・・と実感できたのがポイントかもしれません。
補足
僕の親はバカだったと思います。子供の気持ちを汲めないダメな親だったと思います。自分の子供をよく理解できていない親だったと思います。
僕のような体験をした人は、一時的には、親を憎んでも恨んでもいいと思います。例えば、親からの謝罪を受けることで、トラウマを乗り越えられるなんてケースもあるのかもしれません。
ただまあ、今だから思えることかもしれませんが、親も完璧ではないですよね。子育て世代の年齢だって20歳後半~40歳くらいでしょう。多感な年ごろの子供と向き合うタイミングは。
特段成熟した大人というわけでもない。ましてや、子育てのプロというわけでもない。
子供がたくさんいたりしたら、細部まで目を通すことは、そりゃ難しくなる。
それでも親という生き物は、全身全霊を込めて教育に力を注ぐべきだと個人的には思いますけどね。
それにしても、仮にあの時サッカーを続けていたらどうなっていたのか?を考えざるを得ない。
これからの人生の質を高めていく以外、どうしようもないんですけどね('ω')
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